こんばんわ。
世界一周美容師HIKARI(hikari_1111m)です。
最悪です。
iPhoneが使えなくなり大ダメージを受けています。
楽しい滞在になると思っていたのに、またハプニング発生です、、、。
普段使っていたiPhoneでlineなどのメインの連絡手段を絶たれたのとSNSも全てiPhoneで投稿してたのでそれもできなくなってしまいました。
幸いだったのは、航空券の予約番号のみスクショを取っておいた画像をパソコンから発見したので、航空会社に連絡してフライト情報を確認できたのと、サブのスマホがあったので家族や明後日合流する先輩方となんとか連絡取れたのと、ブログで使おうと思っていた写真は2日前に保存しておいたのでブログを書くことができる事です。
マレーシアに滞在中、私と同じく世界一周してる女の子がいたのですがその子はスマホを盗まれていました。
海外にいてこんなハプニングが起こると、こんなにも不安になるんだと思い知りました。
あの子はどれほど絶望的な気分だったか、、、。
まだ手元にあるだけマシだと思うようにします。
なんかもう最低な気分だし飲みたい気分だったので、
初日に行ったビールの安いお店でやけ酒してきました。
て言っても二杯しか飲めませんでしたが、、、。
もう考えてもしょうがないのでとりあえず切り替えようと思います。
今日はカンボジアに着いて3日目に行った、トゥールスレン虐殺博物館での話をしたいと思います。
ここはカンボジアの悲惨な過去を象徴する最も有名な博物館です。
全く罪のないカンボジア人が大量虐殺された収容所です。
知っていますか?
1975年から1979年の4年間の間にカンボジアで起こった大虐殺の話。
大昔ではありません。
今からたった40年前に起こったことなんです。
私はチラッと昔何かで聞いたことはあったんですが、詳しいことは何も知りませんでした。
大虐殺から始まり、干ばつ、飢餓、疫病など、
4年間で200万人〜300万人ものカンボジア国民が亡くなったと言われています。
それはその当時カンボジア内で最も権力のあったポル・ポトという指導者によって行われたものでした。
ネットで見て、これは行くべきだと思いました。
自分の目で見て、当時のカンボジアがどんな現状だったか知りたかったからです。
あいにくこの日は雨が降っていましたが、トゥクトゥクに乗り行ってきました。
到着して入場料5ドルを支払い中に入りました。
こんな感じの領収書を渡されました。
ゲートを抜けて中に入ります。
入った瞬間から異様な空気が漂っていました。
すごく重たい空気です。
木が沢山植えられていました。
緑のおかげで少しは緩和されていますが本当に重い空気です。
こんな感じ。
欧米系の観光客が沢山いました。
皆険しい顔で歩いていました。
当たり前ですがヘラヘラ笑っている人は一人もいませんでした。
なんて書いてるのかは分からなかったんですがここはどういう場所かなど書いてる気がしました。
こんな感じで説明書きもありました。
あ~少しの文章しか分からないのが悔しい、、、。
収容所です。
この中で大量のカンボジア人が虐殺されました。
実際に収容されたのは14000人~20000人程。
生きて出てこられたのは、たったの8人だけらしいです。
ここに収容された人は悪いことをした人なんかじゃありません。
ポルポト政権に必要のない知識人(医者、公務員、政治家、教師など)ばかりです。
ポルポトは農業だけで国を発展させるために政策の邪魔になると判断した人間をこの収容所にかき集めて次々殺していったそうです。
眼鏡をかけていたら知識人だと疑い殺し、手が柔らかいと農業をしたことが無いからと殺し、農業をする上で体力的に持たなそうな体の弱い人や障害者、老人、小さな子供までも殺しました。
海外に出ていた留学生も政策に力を貸してほしいなどと嘘をついてカンボジアに呼び戻し、殺しました。
赤ちゃんを抱いている母親は子供を取り上げられ、木に叩きつけて殺しました。
母親はそれを見なければいけませんでした。
残虐過ぎて言葉が出ません。
これはきっと拷問を受けている人の象でしょうね。
慰霊碑のようなものがありました。
これはお墓だそうです。
収容された子供たち。
こんなに小さな子供を、、、。
もっとこの中で撮った生生しい写真などもあったんですが、後で見返したら具合が悪くなってしまったので中の写真は全部消してしまいました。
この中は独房です。
土とレンガだけで雑に作られた天井のない部屋が沢山ありました。
一部屋1・5畳ほどで凄く狭くて、床に頑丈に固定された鎖があり先端に鉄の輪っかが付いていました。
この輪っかに足を固定されて逃げられないようにされていたみたいです。
まるで犬のような扱いです。
血の跡もありました。
中は薄暗く、異常なまでの重い空気に具合が悪くなってしまいずっとはいれませんでした。
この他にも亡くなった方の沢山の本物の頭蓋骨や、
当時のまま残された拷問用のベッドがある部屋や、
(この部屋の壁にはHELPと刻まれていました、、、。)
拷問用の器具やその使い方を表した絵や、
この収容所に入れられた沢山の人の写真が展示されていました。
全員手を後ろに回していたので、多分手錠をかけられていたのでしょう。
写真は全てカメラ目線なので、私は写真に釘付けになってしまいました。
人々の顔は悲しさや恐怖、、、ではなく、
人間の感情が一切ない。
ただただ ”無” の表情ばかりでした。
きっと恐怖や悲しさなどの感情が邪魔に感じるほどの絶望感だったんだと思います。
こんなに苦しくて辛いなら感情を捨てた方がましだとでもいうような表情。
この写真を撮った後に待っている拷問や死の恐怖を想像すると本当に言葉が出ません。
その他にも直視できようなレベルの拷問の最中の写真も沢山ありました。
あばらが浮き出るほどガリガリに痩せた体。
拷問された直後なのか、床に仰向けになり天井を向き目はうつろで口が半開きの状態。
口から泡を吐いている人や、鼻も目も口も分からなくなるくらい顔面を殴られ血だらけな人など、、、。
その写真を一枚ずつしっかり見て自分の目に焼き付けました。
この収容所で起きた、信じられないような惨劇の数々を。
そしてこの収容所では規則があったみたいです。
ウィキペディアで見つけました。
以下です↓
- 質問された事にそのまま答えよ。話をそらしてはならない。
- 何かと口実を作って事実を隠蔽してはならない。尋問係を試す事は固く禁じる。
- 革命に亀裂をもたらし頓挫させようとするのは愚か者である。そのようになってはならない。
- 質問に対し問い返すなどして時間稼ぎをしてはならない。
- 自分の不道徳や革命論など語ってはならない。
- 電流を受けている間は一切叫ばないこと。
- 何もせず、静かに座って命令を待て。何も命令がなければ静かにしていろ。何か命令を受けたら、何も言わずにすぐにやれ。
- 自分の本当の素性を隠すためにベトナム系移民を口実に使うな。
- これらの規則が守れなければ何度でも何度でも電線による鞭打ちを与える。
- これらの規則を破った場合には10回の鞭打ちか5回の電気ショックを与える。
ここに収容された人はこの規則を守らなければ拷問されたり、殺されるらしいです。
ここには人間としての自由や尊厳は一切ありません。
完全に支配されなくてはいけなかったんです。
どんなに理不尽でもいう事を聞かなければいけなかったんです。
正直今これ書いて思い出して気分が悪くなっています。
私はこの収容所にいる間ずっと頭が痛くて吐き気がしてました。
なのでここには1時間もいる事ができませんでした。
収容所を出た瞬間良くなったことにびっくりしました。
それくらい、この場所は重い空気が漂っていたんです。
私こういうとこに来ると結構感じ取っちゃうんですよね、、、。
幽霊見えるとかじゃないんですけど、その場所の空気に敏感に反応しちゃうんです。
吸収しやすいというか。
なので苦手な人は行かない方が良いと思います。
でもカンボジアの歴史を知ることは私にとって重要で、
どうして今だに貧困に苦しむのかその悲惨な背景を自分の目で見る事が出来て本当に良かったです。
そして絶対にもう二度と同じようなことは起こさず、
この国がより豊かになって行くことを願わずにはいられません。
そんなことを思わせるようなトゥールスレン虐殺博物館での一日でした。
最後まで読んでくれてありがとうございます^^☆
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